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2007年2月14日 (水)

遅すぎる感謝かよ・・・

 物事を考えるとき、何かを思い出そうとするとき、レガートに「ええっと・・・」と流すのではなく、「え・え・つ・と!」と、スタッカートに切る。「つ」も小さい「っ」ではなくでっかい方。母方の祖母の、それが口癖だった。

 1917年3月14日生。満年齢90歳を目前にした本年2月11日午前2時32分永眠。

 三連休初日深夜に死亡→二日目通夜→三日目葬儀、という流れは、勤め人に配慮しましたという感じで、公務員上がりの祖父に70年余り連れ添った祖母の最期にふさわしいような気もする。

 三人の子を成し、しかし二人の孫しか抱けなかった祖母は、90を過ぎてなお矍鑠たる、というか些か頑固すぎる祖父にいつも連れ添いながら、孫の一人である小生を、どんなときも温かく見守ってくれた存在だった。

 小生が家庭を持ってからは、戦争を通過した世代の「バーチャン」らしく、いつも小生に「ミヤゲモノ」を持たせてくれた。果物に野菜、缶詰に和菓子。

 彼女の生活力の衰えに比例して、渡される「ミヤゲモノ」も次第に見窄らしくなっていった。賞味期限が半年以上経過したアラレを渡されたこともある。

 ある時「単車で来ているから」を理由に、ミヤゲの受け取りを拒否した。

 祖母は小生の拒否を許さなかった。頑なにグッチの横に立ち続け、少しでもいいから持って帰れと譲らない。根負けしてミカンだったかをライディングジャケットのポケットに突っ込んで帰宅した。

 なんで素直に出されたモノを全部受け取らなかったんだろうかと泣きたくなるほどに情けなくなるんだけど、もう時は戻らない。

 晩年はずいぶんと物忘れがひどくなり、小生の二人のコドモの名前は最後まで覚えられなかったけれど、でも、正月にお邪魔したときはニコニコと二人の曾孫を迎えてくれた。五分おきに「ボクなんねんせい?」と聞きながら。

 そのまま調子を崩し一月末に入院。三週間ほど闘病してあっけなくこの世を去った。入院四日目くらいに見舞ったとき、病室で小生の手を「温かい手やなあ」と笑いながら握りしめて眠りについたのが最後の会話になった。

 アンタの手の方が数百倍あったかかったぜ、おばあちゃん!

 心にぽっかり穴が空いたまま、また小生の生活は回り始めている。ぎすぎすと周りを牽制しあう毎日。でもこれからは、出来るだけ機会を作って立ち止まってみようと思うのである。

 そしてその度に「え・え・つ・と!」とスタッカートで吐き出してみるのだ。

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コメント

お婆さんのご冥福をお祈りいたします。
とってもいいお話で・・・心が温かくなりました。

天国のお婆さんに犬丸さんの感謝の気持ちはきっと届いていますよ。

投稿: まんまママ | 2007年2月15日 (木) 09時44分

前の仕事を辞めた後、1ヶ月ほど休みがあったのですが、私の祖父が亡くなったのも、そんなときでした。おかげですぐに九州まで行き、葬儀・火葬まで立ち会うことができました。
私はいわゆる「おじいちゃん子」ではありませんでしたが、祖父にとっては私が初孫で、ずいぶんと目をかけてもらったものです。私は子供の頃、祖父母が亡くなるということを当たり前のこととして受け止めていたのですが、この祖父の死は、人が人生を終えることの重みを私に教えてくれました。私も祖父に感謝しております。

投稿: MATA | 2007年2月15日 (木) 13時05分

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