・食い物
現地で「きちんと」食べた食事は、到着日の夕食と翌日朝食、昼食、の3回だけ。これだけでミュンヘンの食文化について語るのもどうかと思うけど、短期間である故ブレない評価も可能かと思い、一応書いてみる。
で、相対的な感想としては、
・量大杉
・肉大杉
・塩大杉
ってところか。
このボリュームの食事を毎日こなして、尚かつ現地人のごとく水のようにビールをあおっていたらやってたら、一瞬でメタボリック突入は間違いあるまい。街中に自転車乗りが多かったのには、そういうところにも理由があるんだろうと思う、マジで。
圧巻は二日目の昼食。やっぱちゃんとしたソーセージを喰らおうと思い、市内中心部のバイエルン料理店というかビヤホールみたいなところに入ってメニューを見せてもらい、「ソーセージ、ポテト、ザウワークラウト・・・」などと並んでいるのがあったので「一通りの盛り合わせか、これでええわ」とオーダーしてみたら、それらの食材を全て一口大に刻んでレギュラーサイズのフライパン一杯に炒めたブツが、フライパンのまま食卓に登場。
まさに絵で描いたような量大杉肉大杉塩大杉であった。特に味の濃さは生半可ではない。基本的に塩辛料理が好きな小生ですらもてあますほどである。あまりに塩辛いので、テーブルに備えてあったパンに手を出す。白いつぶつぶが付いていたので、砂糖がまぶしてあるパンだと思い、中和するにはちょうどええわと考えたのだけど、いざ口に含んでみると、パンにまぶしてあるのも塩だったという、コントみたいなオチまで付いてしまう。
最後は少し涙目になりながらも何とか胃袋に収めたが、結局夕方になっても消化出来ず、夕食はスーパーでサンドウィッチを買ってホテルで済ませてしまった。ワシのテーブルの上にフライパンをでんと置いてにたっと笑ったオバチャンの顔、生涯忘れません。
ただ、味は悪くなかったのである。というか、小生の舌とは非常に相性がよかった。肉類はモチロン、チーズとコーヒーも、現地で口にしたモノに全く外れはなかった。やっぱこういう文化で生活している国なんだなと、当たり前の感想を上塗りした次第。
こういうモノが口に出来る生活が実現出来るのなら、少なくとも食文化的には今すぐ移住しても問題ないだろうと思うのである。
・景観
市中心部にツインタワーがある。13世紀に建てられたフラウエン教会の石造りモノである。高さ100メートル弱。3ユーロで、てっぺんに登れる。登ってみた。
文字通り、ミュンヘン市内が一望出来る展望がそこにある。
ただひたすらに石造りの建物が足下に広がる。高層ビルは郊外にしか見あたらない。これが人工130万弱の近代都市の全容であると説明しても、おそらくニホンジンには理解出来ないのではないか。
こういう光景が展開してこそ、始めて「都市景観」という概念が成立し得る。
石造りの建物群は、個人が銀行から金を借りて建てるシロモノではなく、よって、30年余りで取り壊される消耗品でもない。自分より上の世代から受け付き、下の世代に引き継いでゆく、半永久的公共財産である。半永久だからこそその外観を守る必要性が出てくるわけだ。
小生が居住する京都市は、昨今景観法とやらを導入し、今後新築される建物に大幅な規制をかけることを決めている。欧州のうわべだけ持ち込んだ、なんの意味も持たない典型的サルマネ法。こういう阿呆な行政に振り回されるシゴトやってる自分って、なんて情けないんだろうと、ミュンヘンの空の下、自分の存在価値のなさが嫌になるほど身にしみる。
・移住キボンヌ
コンビニなんて存在しないという話は、ガイドブックで読んでいた。実際に行ってみるとコンビニはおろか自販機すら駅などにまばらに置いてある程度である。
モノは店で買わなければ行けない。で、法律により店は基本的に土日は休み。買い物は平日の18時頃までに済ませる必要がある。
これを不便と捕らえるのは簡単である。だが、「ヒトがヒトにモノを売る」のは本来当たり前のことであって、その枠を大幅にはみ出してしまった極東島国の在り方自体がおかしいのである。
コンビニにしても同じ。確かに深夜に店が開いていることは便利ではあるけれど、そういう店を実現させるためにいったい我々の社会が何を犠牲にしてきたのかという事に目を向けると、独逸の選択とニホンの選択、どちらが正しかったのかは、少なくとも小生にはあの街に1日過ごしただけではっきりと答えを出すことが出来た。
というわけで、いつまでも1日だけ過ごしたミュンヘンであるが、結論から言うと、想像を遙かに超えて快適であった。自転車乗りには至極快適な街環境があるし、バックパッカーも多数見かけた。6ユーロで市内のトラム地下鉄バス全て乗り放題。英国庭園なるでかい公園もあり、中心部にはオペラハウスがあり、そしてスーパーの玩具コーナーの片隅にはちゃんとメルクリンコーナーが存在する。
ユーゴスラビアに生まれ、米国に渡り、それなりの苦労を積んだオジが人生最後の30年をこの街で過ごした理由が、街について24時間ほど経った辺りでもの凄く理解出来た気がした。そして思った、「すぐにでもヨメとガキを連れて移住しよう」と。
帰国後ヨメに話したら鼻であしらわれたし、冷静に考えると現実社会のハードルもいろいろ高いので、実現出来るかどうかはなはだ疑問ではある。
が、でもいつか果たしてみたいと今も夢想している。はー、この短い人生の中で、またやりたいことが増えちゃったよ・・・
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