2014年6月19日 (木)

蒸気機関車と黄色い花

 煙を吐きながらゆっくりと蒸気機関車が目の前を通り過ぎてゆく。タンク型のおそらくC11は,バックの形で,短い石炭スペースを頭に国鉄奈良線を北から南へ走ってゆく。何かを曳いていたのだが,それが貨車だったのか客車だったのか,覚えていない。

 線路脇のスペースでは黄色い花が揺れている。菜の花だったのだろうか。母に手を引かれた私はその光景に魅入られている。

 私の中の,最も古い映像記憶である。くっきりとカラーで脳裏に残っている。

 ただ,機関車が本当にタンク型で,逆向けに走っていたのか,今となっては心もとない。奈良線と蒸気機関車についてサラっとググってみたら,1971年が運用最終年だそうで,65年製である私の脳裏に蒸気機関車の映像が残ることとの整合性はあるものの,走っていたのはもっぱらC58という情報が拾えた。

 いくら短いとはいえ,テンダーの端くれであるC58だと,何かを曳きながら逆向けに走行することはあまり無かったのではないだろうか。

 70年代後半,ローティーン期にリアル鉄ちゃんの端くれに成り上がり,最も好きな機関車がDE10だった私が,自らのメモリの中の機関車を,なんとなく似たタイプの蒸気機関車に上書きしてしまった可能性を否定することはできない。

 そう,私はあまり蒸気機関車に関心は無かったのである。記憶の中に残っている蒸気機関車も,上記の映像だけである。昔の写真を見ていると他にも何度か蒸気機関車が曳く列車に乗車する機会はあったのだが,機関車の記憶は全然残っていない。

 だが生前の母はことあるごとに「アンタがまだちっちゃいコロ,A市に帰るのに山陰線に乗ろうとおもたら,京都駅で蒸気機関車を買ってくれと泣かれて往生したわ」と語り続けていた。

 A市には祖父母が住む母の生家があったが,祖父母は68年に乙訓に引っ越しているので,上記の記憶は私が3歳までの時のものということになる。
 A市への旅行そのものは断片的に脳裏にある。母と共に銭湯に行ったこと。どこかの公衆便所で男子便器がずらりと並んでいる光景が面白かったこと。母の弟に遊んでもらい,おそらく地元消防団が保有していた消防車に乗せてもらい有頂天になったこと等々。

 でも,これらA市の記憶はモノクロームで残っている。叔父と遊んだ,Y川であろう河川敷での思い出もモノクロームのままだ。

 私の中にカラーで残っている最古の記憶は,やはり奈良線を走る蒸気機関車と,その沿線でゆらゆら揺れる黄色い花々なのである。花の名前を私は知らない。

 

 

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