2017年1月10日 (火)

レガシー頼みかよ・・・

 年末,ウルトラマンオーブの完結を見届けた。その余韻で年末年始,ウルトラマンXもアマゾンプライムで全22話視聴完了。

 まずはオーブから。やっつけ隊が背後に回って出てこないという,ウルトラシリーズの概念をひっくり返す設定はなかなか面白かった。SSPの三人,戦士人間体二人のお芝居もなかなか手堅くて破たんがなかったのは好印象。特にキャップを演じた松浦雅の好演と,ジャクラーを演じた青柳尊哉の怪演は強く心に残った。

この作品の不幸は,シン・ゴジラと真正面からぶつかってしまったことだろう。相手は最早日本特撮史上に燦然と輝く金字塔的作品として語り継がれることは間違いない,屈指の名作であり,予算が潤沢に取れない30分テレビシリーズが,東宝屈指の最強劇場映画しかも庵野監督作品,に戦いを挑んだところで到底勝ち目はない。前述した「捻った初期設定」も,ひょっとすると正面衝突を避けるための変化球だったのかもしれないが,残念ながら焼け石に水でしかなかった。

また,終盤になって突然ビートル隊が表に出てきて「作戦」とか始めたのには正直鼻白んだ。せっかくのユニークスタイルは完遂して初めて意味がある。最後に逃げては元も子もない。加えて戦士人間体の立ち位置の不安定さも最後まで解消できず,なんだかすっきりしない終わり方となってしまった印象は否めない。

総体的な評価としては,よく頑張ったけどあちこち詰めが甘い,という感じかな。30分枠のテレビ番組の中でできる,これが精いっぱいなのかもしれない。

続いて,ウルトラマンX。こちらは,防衛組織を前面に押し出し,メカ物もてんこ盛りで出てくる。変身デバイスもなかなかに力作で,これらの方向性がオーブで否定されてしまったということは・・・売れなかったんだろうか。まあ,未だに近所のイオンの玩具売り場で変身デバイス売れ残ってるしなあ可哀そうだし買ってあげるかなあ。

 特撮も,とても頑張ってる。ビル街のディティールは,精密模型とは別次元かつCGに頼ったデジタル画面とも異なる,日本の特撮が受け継いできた美しさをたたえており,正直これを観るだけでもお金を落とす価値はあると思う。

 加えて,例の20話である。このエピだけブルーレイにして売ってくれないものだろうか。5万くらいなら出してもいい。マジで。

Xの最大の難点は,役者の芝居にあろう。正直,1クール目は見ていてかなり厳しかった。2クールに入ると相応にこなれては来たものの,ヒロインとがってんてんネーちゃんの違和感は最後まで拭うことができず,残念。オーブのキャスティングはこの辺りの轍を踏まぬよう配慮されたのであろうか。

ともあれ,細々とではあるがウルトラシリーズがこうして受け継がれていくことは喜ぶべきことだと思う。が,両シリーズ,もっと言えばマックスからオーブに至るシリーズ全てが,過去の遺産に頼りながら続いているところが気がかりである。最後の,オリジナル設定ウルトラシリーズはネクサスということになるわけか。ネクサスから最早13年。そろそろ完全新作に期待したいところである。

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2016年3月 1日 (火)

括目かよ・・・

 実年齢は初代ガンダム世代に属しているが,私自身は非ガノタである。これまでのシリーズで,のめりこむようにハマったものはひとつとしてなかった。

 初代ガンダムのストーリーを分析すると,「選ばれしエリートが最新鋭機体に搭乗して戦う」という構図に帰結する。これはすなわち第一次世界大戦における飛行機乗りの世界だ。ガンダムのベースにある物語は,ヤマトよりも古い世代の世界観なのである。それが私にはつまらなかった。

 今世紀に入ってゴールデンタイムに放映されたSEED,ダブルオーについてはリアルタイムチェックをしたが,上記の基本設定はこれらの作品にも通奏低音のように流れ続けていて,それ故に(それだけが理由でもないが)私は楽しむことができなかった。ダブルオーに至っては,軌道エレベーターが出てきたこと,ブリグリが唄ったOPが秀逸だったことしか印象に残っていない。マジな話,主人公の名前すら出てこないありさまである。

 そういう状況にある私であるので,昨秋から放映が始まった鉄血のオルフェンズについても,過度な期待は抱かず,3話見て詰まらなかったら切ろう的斜め上から目線的態度で視聴を始めた。ソファーに寝転がってハードディスクに録画したストックをチェックしていたのが,いつの間にかちゃんと座ってみるようになったのは6話目あたりからかな。10話目くらいからは,時間が合えば生視聴するようになり,このところは日曜17時のスケジュールを調整して必ず生視聴するようになっている。

 面白すぎ。ガンダムとか,そういう小さい枠を軽く飛び越えて凄いところに視聴者を連れていく作品になってきた。

 この作品に出てくる少年たちは,天賦の才能を持つ予め選ばれた者たちではない。最貧困層に生まれ,機械の一部となるべく人工的に処置を施された鼠共である。その彼らが運命に抗うべく立ち上がり,理不尽な世の中に対し,懸命に立ち向かう者達である。  そして上流階級で純粋培養された少女が一人,自ら鼠たちと共にあることを選び,傷つきながらそれでも前を向いて闘い続ける。

 今,この国にこのアニメが登場した理由は実に深い。

 括目して見続けよう思う。断言してやるがこの国に居住し,この国の言語が理解できるにもかかわらずこれを観ない選択をする者は,生きる価値のない生ゴミであろうあるよな。

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2015年6月23日 (火)

手習いかよ・・・

 ヴァイオリンを始めてみようかと,ちょっとまじめに悩んでいる。

 齢50歳にもなって無趣味な人生をこれ以上続けるのもどうかと思い,がんばってみようかと思うのであるが,問題も多い。書き出してみよう。

 1 練習時間をどうやって捻出するのか。
 2 楽器とレッスン費用が馬鹿にならない。
 3 周りに経験者ゼロ,頼れる人いない。

 ざっとこんな所である。いずれの問題も,継続していくためには避けられないモノばかりで,つまり,よっぽど腰を据えてやらないとダメということである。うーん,止めておいた方がいいのかな。でも,管楽器よりはまだ何とかなりそうな気もするんだよな。実際のところどうなんだろ。

 で,これとは別に,実はさらに大きな問題がひとつある。齢50歳の私にとって,ひょっとするとこれが一番大きな問題かもしれない。この命題を抱えて残りの人生を全うするのはいばらの道かもしれない。

 4 始めようと思った動機がプリキュアというのは如何なものか?

 ・・・あなたどう思いますか?

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2015年6月12日 (金)

ドロドロかよ・・・

 なんで朝っぱらからこんな生臭いドロドロ人間模様を鑑賞しなくていはいけないのだろうと思いながら「響け!ユーフォニアム」を観ている。

 相応に人が集まる部活において,確かにあのようなドロドロの関係というのは発生してしまうのであって,そういえば結構在籍者が多かった私の大学時代の某部活もあんな感じだった気がする。あらかた忘れたけど。

 で,あらかた忘れてしまったんだけど,そのドロドロの人間関係の中で自分の立ち位置はどんなところにあったっけと北宇治高校吹奏楽部員たちをつらつら眺めてみると,一番近いのがあすか先輩になっちゃうのは自分でもちょっと嫌になる。

 人間関係のドロドロが原因で,同学年の部員が退部すると騒いだときとか「チョーどうでもいい」とか思ってたなあ。

 あすか先輩は長じてどんな社会人になるのであろうか。麗奈も同じ道をたどるのであろうか。嗚呼,来週はどうなるのであろうか・・・

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2015年4月 7日 (火)

断絶かよ・・・

 ロリガ情報をあさるべく某巨大掲示板を見ていて驚くのは,ブルハを知らない世代がネット上に跋扈している事実である。

 「リンダリンダリンダ」が製作されたのがちょうど10年前。この時点では「女子高生がブルーハーツに挑戦!」というインパクトは相応に世間から反応を得られていたと記憶している。この時点ですでにデビューから20年が経過していたわけで,そう考えると改めてこのバンドが日本の音楽業界に打ち込んだ楔の大きさがうかがえる。

 私自身について言うと,このバンドにのめり込んだ経験は無い。だが,それでもその存在感は,喉に刺さった魚の骨のごとく,常に私の身中に残っていて,時折彼らが残したフレーズが頭をよぎる瞬間がある。

 でも,イマドキのワカモノは,もはやブルーハーツを知らないのである。ロリガのエンディング曲の歌詞が「アニソンとは思えないほどすげー」とか驚いてるやつがいるのである。ホントである。

 これを,時の流れとして嘆くのは容易い。

 が,今一つそれだけでは飲み込みきれない感覚が残るのも事実。

 ロックという音楽は,あくまでサブカルチャーの範疇に入るべき文化であり,すなわち,ヲタクのアンテナに引っかかってしかるべきシロモノだと私は思うのだ。私の中にいつまでもブルハが残っているのも,おそらくはこのせいなんだろうと思う。

 しかし,今時のヲタク達はロックなんか聴かない。聴いたとしても,体系的に調べて過去の作品を振り返ったりもしない。明らかに断絶がここにある。

 ロックがもはや,サブカルチャーとしての求心力を失ってしまったということなのか,それともヲタク文化が,サブカルチャーとは異質の,何か別モノに変質しようとしているのか。

 多分両方なんだろう。

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2015年2月23日 (月)

天命かよ・・・

 50歳になった。

 天命を知る=自分の人生における使命,を見極める歳であるらしい。

 どうすりゃいいんだ?

 とりあえず,バファローズのオーエンとプリキュアの鑑賞は死ぬまで続けると思うが,それでええのか,私の天命。

 あなたの天命,教えてくらはい。

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2014年6月22日 (日)

消去法かよ・・・

 「メガーヌ」「ハイドロ」というカテゴリーはあるが,それ以外のクルマを語る場所は無いのだな。へんなブログ。

 というわけで,フィアットとシトロエンのディーラーに行ってきた。パンダとC3が目当てである。

 ・パンダ
 「新入社員」という感じのニーチャンが担当として付いてきた。外に展示してある車両をまずは見せていただく。

 犬丸「面白そうだけど,○○はないんですよね・・・」
 ニー「あ,もうすぐ入ります。」
 犬丸「げ,マジっすか?」
 ニー「マジっすよ,ただ△□△ですけど・・・」
 犬丸「げげげ,△□△なの?ソレって右ハンドル?」
 ニー「ええ,右です。×月発売予定っす。」

 ということで,内部資料を見せてもらった。むーん,一瞬かなり心が揺らいだ。が,冷静に考えてみたら,今の私に△□△は不要だろ。もうスキーにも行かないし。と,なると,やっぱ素のパンダがいいのかな。リヤはかなり狭いけど,ヨメ怒らないかな。

 ・C3
 先代にも乗ったこと無かったので実は初めてなのである。単純にAXの進化したヤツだと思っていた。

 ・・・全然違った。大きく裏切られた。

 「小さな高級車」みたいなところを目指しているんだろうと感じた。確かにパンダの次に乗るとあちこちの質感は段違いである。

 でも,走らせたらつまらなかった。変に室内を高級にしちゃったが故にお里がばれちゃったという感じである。3気筒エンジンは時折がくがく揺れて不快であった。ホイールベースの短さゆえの不安定さもなんか整理し切れていない。このサイズで街乗りが楽しくないフレンチというのはちょっとなあ・・・

 同じエンジンつんだ208に今度はチャレンジしてみようかと思うが,まず自分の中でC3という選択肢は消滅した。

 
 

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2014年4月14日 (月)

先に立たずかよ・・・

 実家の庭に小ぶりの桜の木があった。

 毎年花をつけていたのだろうと思う。その有様をほのかに覚えている。なぜほのかにしか覚えていないのかというと,家族で庭の桜を愛でた記憶が全くないからである。

 父は庭いじりが好きで,休みの日には決まって庭であれこれやっていたので,桜に愛着が無かったわけではあるまい。でも,自ら花をつけたことを愛でるような言動をする人間ではなかった。

 母はもっぱら文句しか言わなかった。虫がつく,落葉の処理が邪魔くさい,などなど。

 落雷で,桜の木が折れたと母から報告を受けたのは,大学生の折,下宿時代だっただろうか。

 その後,母と桜について話す機会はなかった。したがって母と花見をした記憶は,私には全く残っていない。

 母が今年の桜を見ることはなかったという事実だけが残っている。

 ところで,私はどちらかというと花満開の時期よりも,葉桜の方が好きだったりする。ピンクの花と緑の葉が雑多に混在している様が得も知れず心地よいのであるが,そういう志向を母に伝えるすべも,私にはない。

 日々の生活の中でいろいろに思うことは,なるべく形にして残した方がいいのだろうか。 

 

ムスコ達はこのブログをどんな思いで読むのだろうか。

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2014年2月23日 (日)

スピリットかよ・・・

 午前4時36分,病院からスマホに着信。着替えてコンタクトレンズ入れて,途中コンビニに寄って病院に付いた時間は5時15分。オカンのオトウトに電話だけ入れて病室に入ると,心拍きわめて微弱,下顎呼吸状態のオカンがベッドに横たわっていて,看護師さんと当直医さんから長くないだろうと説明を受ける。真夜中の病棟,ナースセンター前に設置されたオカンの心拍モニター音とそこからしばしば流れるアラートが鳴り響く。

 が,そのまま付き添っていたところ,なんか心拍も落ち着き呼吸もゆっくりになって来る。モニターアラートもならなくなる。8時頃,喉の異物を取るため看護師がチューブを入れたらチューブを噛んできたとのこと。これは持ち直したのかな,と当直看護師と話をし,午後から仕事に出ようと一旦引き上げることにする。午前9時頃病院出発。

 朝食等済ませるため,家と逆方向のショッピングモールに一旦向かい駐車場にメガーヌを入れたところで,しかしもう一度病院から電話が入る。やはり呼吸等かなり微弱なので戻って欲しいとのこと。

 用事を済ませ病院に戻ったのが9時50分頃。入り口で見舞いに来たオカンのオトウト及びオカンのオトンとすれ違う。オカンのオトン(98歳)曰く,あの顔色ではもうアカンやろ,とのこと。

 職場にやっぱ今日は休む旨連絡を入れ,そのまま病室で付き添う。枕元にスマホを置いて,シュトゥッツマンのシューマンを流してやる。が,入院中の患者さんたちの合唱パーティー(?)が始まってなんだか病棟が賑やかになってきたので,スマホは閉じる。老人ばかりが暮らす病院なのでみんな楽しそうに「リンゴの唄」とか「青い山脈」とか歌っている。このままオカンが戻ったとしてもあの輪には加われないだろうなあとぼんやり思う。

 そのまま病室でタラタラとスマホをいじっていたら看護師さんがパタパタと入ってくる。歌声にまぎれて聞こえなかったのだが,またアラートが鳴っていたらしい。

 「あら,呼吸したらへんわ」と胸に聴診器を当てた看護師さん。時間は11時1分。先生を呼びに行ってくると彼女は退室。私が見守る前で,しかし一度だけ母は顎を下げて息を吸い,そして動かなくなった。

 別の男性看護師が心拍と動向反応を確認,続いてドクターが再度確認。この際確認された「平成26年2月18日午前11時5分」が死亡時間として戸籍等に記載されることとなった。

 その後3日かけて弔いを行った。とはいえ,故人と私の意志で通夜は行わず近親者での告別式のみとしたため,「普通」のパターンよりはかなり楽だったんだろうとは思う。まあ,それでも大変やったけど。

 というか,すぐそこに死体がある状況ではまともな思考など働かない。本も読まず,時折来客の世話をして,そしてオカンのCDコレクションからオペラばっかりイヤと言うほど聞かせてやった。

 告別式も音楽葬である。葬儀,というかお別れ儀式?にはワルターのモーツァルト・レクイエムを流した。出棺前にはシュライヤーの水車屋から小川の子守唄をかけてやった。前者は,オカンが学生時代から保有してた数少ないLPコレクションの中にあり,たまたま私もCDで買い直して愛聴していたアルバム。後者はクラシックに目覚めた中学生の私が,母と共に楽しんだ数少ない一枚。今となっては私しか記憶していない思い出の一曲。

 享年75歳というのは,今日の平均よりはかなり早いと思われる。45歳で逝ったオトンもモチロン早すぎる。夫婦そろって我侭でせっかちなのである。一人っ子の私はいいメイワクである。

 が,今にして振り返ってみれば,二人ともその人生を余すところ無く楽しんでいたことは間違いない。彼らの生き様から私はいろいろなものを受け取り,それらは今現在の私の人生を確実に豊かにしてくれている。

 とりわけ大きいのは,父からもらった野球を愛する心。そして母からもらった音楽を愛するスピリット。

 次の世代にこれらを引き継ぐのが私の使命なのかもしれない。とりあえずオヤジから背負わされた使命は既に次に伝えることが出来ている。つまり私の人生も既に半分は終わっているのかな。

 残りの使命を果たすため,明日からも精進しよう。 

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2013年10月16日 (水)

尽きぬ悩みかよ・・・

 やきゆうシーズンが終わってしまったのでフヌケになっている。でもずっとフヌケでいるのもしんどいので生活にカツを入れるべく,生活必需品を二つほど買ってみたのであるが,なんだか詰めが甘いんだな,ワタシのジンセイは。

 ・VF-4
 散々迷った挙句,梅田ヨドヴァで購入。帰宅後必死で開封してE-P3にくっつけてみるも無反応。本体のファーム上げないといけなかったのね。上げたら無事に使えた。だけど,E-P3だと自動切り替わり装置は作動しないんだそうで,そうかやっぱE-P5をどこかで買わなきゃいけないのかと,なんか納得。

 使ってみて,やっぱ写真はファインダーを覗いて撮るものなのだと改めて思った。あの方の忠告を聞き入れてもっと早く買えばよかった。まあでも,これで一応環境は整ってきたのでガシガシ撮ろうと思うのである。

 思うのであるが,撮った写真ってどうすればいいんだろ。

 根源的な疑問にぶち当たってる今日この頃。写真教室にでも入るべきなんだろうかと少し悩みちう。

 

・まどマギ劇場版
 BD版をようやく購入して連休中に鑑賞。新作公開に何とか間に合ってほっとする。

 基本テレビ放映版の編集作品なんだけど,魅力がスポイルされることなく,いい作品に仕上がっていて満足である。

 満足なのであるが,見終えて思ったのは,やっぱこの作品は当初のフォーマットたる全12話のテレビ放映パターンで鑑賞すべきであるということ。

 やっぱね,あのOP,EDを毎回見ないとダメなんじゃないかと。それだけのために買いなおしてもいいかなと思っている私はおかしいのだろうか正常なのだろうか。

 買いなおし?買い増し?

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